最近、アサヒカメラを買うことはほとんどないのだけど、久しぶりに5Dmk2の診断室が掲載されている4月号を購入した。
で、問題は、たまたま4月号に木村伊兵衛賞の発表が載っており、今回は浅田政志氏の『浅田家』が受賞したとのこと。それ自体はコメントできるほど彼の写真を見ているわけではないので、どうのこうの言うつもりはないが、私はどうもこの木村伊兵衛賞というのは、いつもなんだかなぁと思う。
繰り返すが、受賞されている方が悪いわけではない。問題は、なんというかこの賞のコンセプトが良くわからないことだ。何を基準として選んでいるのか。写真を選んでいるのか、写真集を選んでいるのか、写真家を選んでいるのか。評者のコメントを見ても、このへんが曖昧としている。
思うに写真家が評者に入っている時点で、賞としては公平でない。私は、評者は純粋に評者であるべきで、写真を撮る立場の人間が他の写真の評価を下すシステムに、この賞の問題があると思う。
作品と作者とは、同一のレベルで評価すべきことなのだろうか、一枚の写真と複数の写真構成を同一に評価すべきなのか。評論としての立場が曖昧な状態で評価を下すべきなのだろうか。
この賞で一番不思議だったのは、佐内正史氏は、「生きている」からかなり年数が経ってから、確か他の写真家と同時に受賞していたことである。
個人的には、この「生きている」という写真集は、日本人の写真集では、もっとも衝撃を受けたものであった。さりげない日常を美しく自由に写し止めた映像は、写真が知覚から自由であることの宣言であったと思う。しかし、彼はこの作品だけでは受賞できず、数年後に仕方がないような形で受賞している。
恐らく、この写真集の意味を当時の評者の方々が満場一致では理解できなかった、あるいは写真そのものではなく写真家として認めなかったのが、その理由ではないかと思っている。
評者自身がすべて自覚的にそう思っているわけではないと思うが、なんというか彼らの立場を揺るがすような写真家というのはいないものなのだろうか。メディアで取り上げられた写真家だけではなく、そういう写真家を発掘してもらえないかと思う。
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