2009-04-25

レンズテスト

 ・Planar 50/1.7
  もっている標準レンズを5Dmk2でテストしたら、意外なことにこのレンズが一番相性が良さそう。開放から色の滲みがなくピントがきており、絞ると相当にシャープになる。このレンズ、数年前に5千円で買ったのだけど、しばらくこのレンズを使おうかと思う。
 他のテストしたレンズの寸評は以下のとおり。

 ・Planar 55/1.2
  実写ではあまり感じないのだけど、テストでは開放からf2ぐらいまで色の滲みがある。f2.8でなくなる。シャープさは、開放からシャープで、絞っても線が細い。ピントの合う範囲が狭い印象で、絞っても改善されないのはフィルムよりも顕著だと思う。このへんがこのレンズの痺れるところかなと。
 シャープさは、5Dの時よりもmk2の方が上。色の滲みもやや上かなという程度。ただ、普通の被写体だとそれほど気にならないのだけど、このあたりはもう少し使わないと何とも言えない。逆光で撮影しても5Dのような盛大なフレアはない。
 このレンズはmk2だと、開放から実用になるのが嬉しいところだ。もう少し使ってから、レポートしたい。

 ・makro planar 60/2.8C
  開放からOK。予想通りの結果。線は普通。

 ・Sigma 24-70mm f2.8 IS HSM 50mm近辺
  なんというか、良い単焦点のレンズと比べると、開放では少し太い?かなという印象ある。ただ、昔のM42のレンズどと比べると、全然上。開放でも色の滲みはない。撮影距離が1mm程度なので遠景だと良いのかもしれないが、まぁ、このレンズが万能だとこれはこれで寂しいものがある。Planar50/1.7や55/1.2を使う意味があるというのも、悪い話ではない。。
 ただ、実写レベルだと、光が強い状況で開放では、部分的にややフレア(球面収差)のようなものがあるが、周辺までシャープで立体感のある描写は、なかなかのもの。

 ・Vario-sonnar 28-85/f3.3-f4
  このレンズ、実写ではピンとこなかったのだけど、テストでは、sigma 24-70よりも上なのではないかと思うぐらい。ピントが合わせやすいのが特徴的で、クッキリとしたピントを出す。良いズームレンズだと思う。
  実写では、少し色が濁った感じがするが、sigmaのコーディングが最新のものなので、これとの比較は酷。ただ、レンズ自体は十分、5DMK2でも通用する感じがする。

  ・Summicron 50/2  R 1st
開放では少し色が滲む。絞るとシャープという感じで、予想通りの結果。こう考えると、Planar 50/1.7は優秀。

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5D mark2の品質


 事前に調べておけばよかったのだけど、カメラ自体に問題あり。ボディの底面とCF側のグリップがギシギシときしむ。ヨドバシで展示してあるカメラは、3台中2台は問題なし、1台はややきしむのだけど、私が購入したものは、それ以上で、どうしょうかと思案中。画質に影響ないという話もありますが、グリップが稼働するとブレることもあるわけで。

 ファインダーへのゴミの混入は、細かいゴミが2つ入り、許容範囲であるが、これが今後増えるかどうか。大きなゴミが入らないよう改善されていることを望むが、もうしばらく使ってみないとわからない。

 あと、気になるのはシャッター音。ヨドバシに展示してあるカメラとは全然音が違う。ネットでシャッター音が嫌いという話はあるが、展示品と違うとは思っていなかった。ちなみに、ヨドバシの展示品も個体差がありますが、これまた私のカメラとは異なる音です。
 
 Canonの品質管理というか、工業製品でこれだけ個体差があると、精密機器としてどうなのかと思う。ボディの立て付けだけの問題であれば良いのだけれど、ここでこれだけ個体差があると、これが画質にまで及ぶのではないかとも思う。

 チタンのカメラというものがある。ボディをチタン加工して趣向性を高めたものだが、たとえばCONTAX T2とかをイメージしてもらえば良い。一時期、特に高級コンパクトの分野でチタンを素材に使うのが流行った。しかし、Canonだけはチタンを使うことに追随しなかった。Canonはカメラを趣向品ではなく実用品と考えているからだ。その考えは、ヨーロッパの貴族趣味的なカメラを誰でも手にできる水準まで民主化した。カメラがもっとも民主的なメディアとなったのは、Canonの功績が大きい。チタンのカメラを否定しないが、カメラは実用、飾るものではなくて撮ってなんぼ、という考えは、写真を実用する点においては一つの思想なのだと思う。

 また、デジカメを先導を切って低価格化し普及に貢献したのはCanonであったが、同時に現時点で35mm一眼レフのフィルムカメラを供給しているのはCanonだけである。(Kenkoのようなものは除くと)

 こうしたCanonのカメラは実用品という考え方は、5Dをみても貫かれている。外見は特段高級ではない、その代わり、たたき出す画像は一級品だ。
 ただ、実用と品質は別なはずで、その点は、Mk2の課題だと思うし、実用として必要なコストを下げるべきではない。

 オリンパスのE-3でも品質に一部バラツキがあったようだが、ボディがペコペコいうようなことはない。

 思うに、価格的に5D Mark2はもう少し高く設定したかったのではないか。せめて、前5Dと同水準、298ぐらいがターゲットであったのではないかと思う。これが240ぐらいになると、当然しわ寄せは生産過程にくる。在庫の削減、品質基準の緩和、そうしなければ採算がとれない。その結果、製品にバラツキがでる。

 5DMk2の画像は素晴らしいものだが、粗悪な商品は市場からは支持されまい。ただ、フォローすると、サービスの対応は良い。気の利いた対応をしてくれる。読み違いもあったかもしれないが、是非、もう少し品質管理をお願いできないかと思う。


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2009-04-23

吉野まで


今年は念願の吉野まで撮影に。
なかなか面白いところですが、途中で道に迷い、早めに引き上げてきました。




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2009-04-20

さくら、さくら

 毎年、この季節にると、桜を撮影しているが、なんというか、桜は写真にならない。絵にはなるのだけれど。

 昔に、その理由は、他の花と違い、桜は花をみているのではなく、そのイメージ、桜という精神を見ているからではないかと書いた。

 自分のなかに桜のイメージがある以上、どうしても前にある画像よりもイメージの方が勝るような気がする。もっとも、他の人の写真で素晴らしいものもあるだが、PLフィルターでバックの空を真っ青にした写真は、美しいものではない。

 他人の写真でいいなと思ったのは、リー・フリードランナーとテリ・ワイフェンバッハの写真だった。
 リー・フリードランナーの写真は、アサヒカメラで桜をモノクロで撮ったもので、日本人的な精神性を意識した写真ではないのだけれど、かえって桜の精神性が撮影できているように思った。精神をなぞるのではなく、モノクロのイメージのなかで吸収すること。

 テリ・ワイフェンバッハは、In your dreams のなかの少しピントをはずしたものであったが、こういう桜の写真、写真の撮り方もあるのかと思った。日本人としての自分の中の桜のイメージがかえって、桜の写真を狭めている。

 今年に入って、モノクロで写真を見るようになり、疑心案議で撮影したものをモノクロ化しているが、これがなかなかよい感じになる。カラーよりもモノクロの方がイメージの領域が自由で精神性をストレートに表現できる。桜の淡い色がきれいだと思うのは、イメージなのであって、実在するものではないモノクロの世界に桜を放り込むこと、そのことで淡い色が表現できるようになる。


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Zuiko 14-35mm/f2再考?


 シグマの24-70mm f2.3 IS HSMを使ってみて、改めてZuiko 14-35mm/f2について考える。

 まず、その大きさであるが、レンズの大きさ、直径自体はシグマの方が大きい。一方、レンズの全長はZuikoの方が長い。で、明るさがF2と一段明るい分、Zuikoの方が大きいという逆転が起こる。

 描写の方は、これは好みのレベルであるが、シグマが解放からピントがカリカリであるのに対し、Zuikoは開放では柔らかく、絞るとピンとくる。カリカリという感じはしない。だけど、ふやふやではない。おそらく、内面反射などが少ないせいか、大変、クリアな描写をしている。上品な描写というか、自然なピントだと思う。テレセントリック、というのが効いているのかもしれない。

 こう書き出すと、Zuikoの方が良さそうなのだけど、シグマ5Dmk2の解像度は、視覚を超えていることから、こういう描写も面白い。
 フォーサーズが視覚の代替としての画像だとしたら、5Dmk2は、視覚を超えた世界を目指している。フォーサーズが35mmから645だとすれば、シグマ+5Dmk2は67から4×5という感じがする。
  
 どちらが優れているというのではなく、好みの問題なのだが。

 現状、フルサイズの利点は、解像度よりも諧調性にあり、この点は全然レベルが違う。ここさえ、クリアできれば、フォーサーズも自然な描写として地位を確立できるかもしれない。一方、フルサイズは、どんどん視覚を超えて、8×10やその上の描写を実現していくかもしれない。そういった棲み分けができるような気がする。

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シグマのレンズ


 Zuiko 14-35/2を使っているので、このレンズの35mm版があればなぁ、と思ってシグマ 24-70mm f2.3 IS HSMを購入。5Dmk2のポテンシャルを引き出すには、レンズが重要。

 最新のデジタルレンズ、どれぐらいの実力か試してみたい。CONTAXのレンズでも十分なのだけど。
 ならば普通は純正の24-70/2.8ということになるのだが、思想的にCanonの純正レンズは、なんか違和感のようなものがあって、あまり食指がすすまない。慣れの問題だと思うが。ネットでの評判も、このシグマのレンズ、なかなかのようで。
 
 で、購入してそのまま撮影を行ったが、まぁ、何というかシャープなこと。等倍で見ると、シャープすぎてピントの合う範囲が狭いすぎる。絞っても、ピントの位置がわかる。このレベルでズームレンズができると、CONATXのレンズは、もはやクラッシックの領域で、28mm/2.8ぐらいしか対抗できないのではないかと思う。少なくとも、35/2.8とか、28-85というレベルではない。絞って、55/1.2と同等か。35/1.4よりはシャープな感じ。
 
 色ぬけ、透明感のようなものが明らかに違う。この描写をズームレンズから教わるのも時代だと思うが、シグマの本気を感じた。
 ただ、このレンズ、やはり前ピン傾向で、ピント調整しないと合わない。この点は製造過程の問題なのか、カメラとの相性なのか。そのうち、調整に出すとして、とりあえずはMFで使える。

 シグマのレンズは、これ以外に、70/2.8 Macroを持っているが、こちらも大変シャープで気に入っている。この調子で純正を上回るレンズ群を投入してほしいと思う 
 思うにコシナがZeissと組んでいろいろなレンズを出していることを考えると、デジタルになり、フィルム時代よりもレンズの要求レベルが高まっているのだろう。

 比べると、Zuiko14-35mm/f2は、シャープだけれどまろやかで、アナログ的なのに対し、このシグマのレンズはひたすらシャープという感じ。
 
 フルサイズで問題となるレンズ精度であるが、Netで見ると、そこそこのレンズでも周辺画質は厳しいよう。Zeissが大きなレンズを用意したのもわかる。

 この立体図を見ていると、フォーサーズがどれぐらい画質としてがんばっているかということはよくわかる。周辺まで含めた画質を考えた場合、フルサイズはレンズの見直しが必要だろう。シグマのこのレンズを使ってみて、大きな違いがあることが改めて認識できた。

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フルサイズについて


 フルサイズについて、CONTAXのレンズは良く写る。私は、デジタルでもう一度、フィルムで写したようなPlanar 55/1.2の描写を見たい。だから、フルサイズ自体を否定するつもりはない。

 と書いたところで、もしかしたら、新しいEOS 5D Mark㈼は、5Dから何らかの改善が行われて、Planar55mmの問題が改善されているかもしれない。そう思っていろいろと調べてみた。

 Planar55mmの作例は見あたらないものの、EF50/1.2や85/1.2あるいはPlanar85/1.4の写真を見ると、5Dだと起こるはずのフレアや色収差が見えないようであった。ならば、Planar55/1.2や85/1.2が使えるのではないか、そういう期待が起きた。そう思うと、気持ちが抑えられなくなり、結局のところ、Mark㈼を購入した。ポリシーのなさ。

 CONTAX-ZEISSの呪縛である。フォーサーズを礼賛したすぐその後で、フルサイズを購入する節操のなさであるが、
明るい単焦点レンズで写真を撮ることが性にあっている。レンズとしての理想は、Planar55/1.2なので、このレンズが使えることには、何事も負けてしまう。(645のsummicronも理想なのだが)

  で、結局、使えたのかどうか。

 結論から言うと、十分に解放から使えるレベルにある。シャープさにおいては、フィルムよりもむしろ高いかもしれない。ただ、画素の増加は、予想以上にピントの位置を正確に示すようで、その浅い被写体深度では、十分に絞らないとピントがあっていないかのような錯覚になる。
 
 5dm2のマットを変えて、MagPをつけても、ピントは見やすいものではない。決して悪いファインダーではないのだけれど、ピークが掴みにくい印象。スクリーンまで見やすいものに変えれば良いのかもしれないが。

 CANONは多分自社の大口径レンズのために、カメラ内や撮影素子の光の反射を徹底的に見直したのだろう。Mark㈼で一番評価したいのは、この内部の反射を削減したことにある。だから、高画素でもきれいな写真が撮れるのだ。(でもこの点を評価する記事は見ないですね)

 しばらくは、フルサイズで写真を撮ることにした。
 
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フォーサーズについて

   ここ1年以上、ずっとオリンパスのデジタルカメラ E-3を使っている。もともと、CONTAXの35mm、AXで初めて自分で一眼レフを購入して以来、いろいろなカメラを使ってきたが、オリンパスを使うのは、このカメラが初めて。デジカメは、最初にCanon 5Dを使ったが、カメラ自体の出来がなんというかCONTAXと違いすぎた。もちろん、だからあの価格でフルサイズができたわけだし、画質的には、十分なものだった。

 何が問題かというと、写真を撮るの回数が減ってきたことだ。これがカメラの問題なのか、フォーマットやデジタルの問題なのか、私の興味の問題なのか、特定できるものではないが、あまり写真を撮るということに興味が薄れていく感じがした。

 カメラやレンズによって、撮影できるものが変わってくることは、いかにも素人的であるが、ただ写真を撮るだけで写真を撮るわけではない。
 で、カメラを思い切ってオリンパスにしたのが、昨年の冬のことであった。

 で、今回は、なぜオリンパスなんだというお話。フォーサーズというフォーマットについての私の考えについて。
 
 フォーサーズは、フルサイズの1/4の撮影素子の大きさしかなく、かつ、カメラ自体の大きさは、それほど変わるものではない。またそのレンズは、本来は1/2の大きさになるはずであるが、そうなっていない。相変わらずの大きさである。

 これには諸説あるが、もっともらしいのは、光学的な制約によるもの。デジタルでは撮影素子の周辺の光量が問題となるため、周辺でも光量が十分となるために、撮影素子の周辺までレンズから光が真っ直ぐに入射するようレンズを設計しているという理由。(テレセントリック)

 その結果、バカでかいレンズを作っているわけだが、私は、この逆立ちしたところが、CONTAX-ZEISS的で気に入っている。

 私は35mmフィルムでの撮影は、ある意味、贅沢だと思っていた。なぜ、わざわざ小さなフォーマットを使い、フォーマットの限界に挑むようなレンズを使って写真を撮るのか。CONTAXは35mmフィルムで中版のような写真を撮るシステムだったが、よく考えれば、それなら最初から中版で撮れば良いのであって、そのために中判なみの大きなカメラとレンズを使って35mmで撮影するのは、倒錯している。

  その倒錯の象徴は、CONTAX Nのレンズである。このシステムのレンズは、デジタル対応を念頭に置いたためか、645のレンズ並の大きさになっており、私は笑ってしまった。100mmのマクロゾナーと645のアポマクロプラナーは同じぐらいの大きさである。

  画質の追求のためには、レンズの大きさや重さは制約としないのは良いとしても、こんなレンズ誰が持って歩けるのかと。これなら、最初から645で良いのではないか。ZEISSが妥協してくれなかったということかもしれないが、画像の周辺まで光を届けるには、これぐらいの大きさが必要なのだろう。しかし、その後、35mmフルサイズが一般化した今日においても、こうした巨大なレンズはどのメーカーも作っていない。

 オリンパスのシステム、とくにレンズ群の普通でない大きさは、CONTAX Nの正統な後継であることを宣言しているようだ。私は、14-35mm/f2や35-100mm/f2を使うが、これらの大きさは、並の35mmレンズよりも巨大だ。(もっともf2ズームという明るさも原因の一つであるのだか)
 この画質に拘る転倒は、写真というものがそもそも逆転したもの(像自体が逆さだ)であることを意味しているようで、メーカーの過剰な意志を感じる。

 フィルム時代から、オリンパスには、f2に拘ったり、その結果、250mm/f2という狂ったレンズを作ったり、やや変なところがあった。(f2、ISO100だと、50mmレンズで夕暮れでもぎりぎりシャッターが切れるということだろうか。焦点距離によって、必要なシャッタースピードは異なるはずだが)

 カメラを産業として考えた場合、大抵はカメラが主でレンズが従である。カメラメーカーがレンズを作っていても、レンズメーカーとは言わないし、実際、オリンパスでもレンズ設計者よりもカメラ設計者の方が有名である。(オリンパスペンを作った人は知られていても、そのレンズを設計した人物はあまり知られていない)日本光学でも、カメラの出来映えに比べ、突出したレンズは聞かない。(バランスとしては、ライカがカメラとレンズのバランスが良いが、ライカの35mmフォーマットの利用がそもそも、レンズ性能を高めることにつながった。高性能なレンズで小さなフォーマットで鮮鋭な画像というコンセプトは、フォーサーズのコンセプトと同一である)

 一般に、レンズはカメラのためのレンズシステムであり、レンズのためのカメラシステムではない。カメラかレンズかという論理は、どういう論理なのだろうか。

 ZEISSの面白いところは、これとは逆で、おそらくZEISSだけが、レンズのためにカメラがあると考えていた唯一のメーカーであったと思う。(そういう意味でコシナツァイスのマルチマウント化は間違っている。ZEISSはカメラのためのレンズ供給者ではない。レンズのためのカメラなのだ。)

 CONTAXは、35mmフォーマットでのZEISSレンズのためのシステムであったわけだ。だから、レンズが重かろうが、大きかろうが、それはレンズの責任ではない。カメラではなく、レンズ中心の考え方、レンズが生命を持つという考えで、カメラシステムをとらえた唯一のまともなシステムであったように思う。

 フルサイズについて、CONTAXのレンズは良く写る。私は、デジタルでもう一度、フィルムで写したようなPlanar 55/1.2の描写を見たい。だから、フルサイズ自体を否定するつもりはないが、ただ、ボディでレンズの収差補正をしてというのは、悲しい気持ちになる。

 結果が変わらなければ、という考えもあるが、デジタル対応を謳ったレンズのアサヒカメラのテスト結果を見ていると、フィルムだと使えるレベルにないものがある。解像度もコントラストも歪曲も補正するなら一緒という考え方もあるが、概念とはいえ、曲がった光を見て撮影すること自体、レンズの否定だと思うからだ。(かえって光学的に複雑な収差補正をしないレンズの方がソフト的には補正しやすいという逆説もあるようだ)

 フィルムもデジカメも光そのものを画像にしているわけではない。そこに味付けがあり、加工があるわけだから、光自体というのは回顧的な考えと一蹴できなくもない。確かに、光そのものを見ているわけではなく、フィルムや撮影素子、現像ソフト、我々の脳というフィルターを通じて、私たちは光を画像に再構成して見ている。

 レンズというのは、その過程での一つの行程に過ぎない。フィルム時代には、その後行程に制約が多かったから、レンズが重要な写真のファクターであったが、デジタルでは、全体の行程の一つに過ぎない。むしろ、後処理の裁量の方が大きい。デジタル的な論理としては、間違っていない。

 レンズが他の行程と異なるのは、私が何を見て、何を感じて写真を撮るかにある。私が見ているのは、レンズがファインダーを通じて写し出す絵であり、その絵を感じてシャッターを切る。私が被写体を探す目は、私の目が見るものではなく、レンズを通して見るものだ。

 一眼レフという仕組みが魅力的なのは、私の目と違った絵をレンズを通して見るからではないか。出来上がった写真ではなく、私が見るものとして、レンズが私と被写体との出会いを媒介するのであり、ゆえにレンズは写真において特別な存在だと思っている。

 私は、レンズの神秘主義と呼んでいるが、レンズと撮影者には、何らかの意志疎通があるように思っている。レンズが撮影者に働きかける。そう、意志がレンズにあるかのように。レンズでも慣れてくると、写し出す像が変わってくる経験、そのレンズの癖がわかったという類のものではなく、描写自体が違ってくることがある。そんなバカな、と思うかもしれないが、レンズには力があるのだと思っている。(私は神秘主義者ではない。だから、この現象はレンズの神秘主義と呼んでいる)

 撮影結果が変わらなくても、良いレンズで撮影することは、私と被写体とを繋ぐ機会を増やすと思っている。写真において、もっとも大事なのは、この出会いにある。

 レンズが意志を持つという概念を認知すること、レンズの位置づけとして、被写体と撮影者の媒介としてのレンズの力を感じるようになる。

 デジタルカメラは、カメラというよりも、撮影素子に近くなってきている。昔で言えば、フィルムに近い。フルサイズかフォーサーズかというのは、67か35mmかという選択に近い。だから、その選択にフォーマットの大きさが問題になるわけではない。むしろ、この選択の問題は、より本質的には、カメラかレンズかという問題だろう。フルサイズできちんとしたレンズを作ったら、それで良いのだ。

 カメラは身体の延長であり、私たちの意識のうちにあるものだ。それに対し、レンズは私と世界との狭間を繋ぐ位置にあり、意識と世界の間にある。カメラ重視の考えは、我々の思い通りに見たものを記録する点において、選択する理由を持つ。レンズ中心の考えは、身体が属する領域を逆転させ、身体が外部にあることを明示する。外部性との接触が写真の動機となっているわけだ。

 事後的にものを見るか、事前にものを見るか。見えるものを記録するのか、見えないものを写し出すのか、写真の目的によって、その選択は異なることになる。

 レンズとカメラの関係から、オリンパスのシステムを見ると、現在のカメラメーカーでは、唯一、レンズ側に力点を置いているように思う。オリンパスがカメラの誘惑に負けずに、この姿勢を貫き通して欲しいと思うのだが、いかがだろうか。

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Bind 2 ID

Blogを

 ということで、試験的に始めたいと思います。文書はポメラで時々打つのですが、アップロードとか面倒で。
 こういうサービスというか連携は、Bindで良かったと思うものです。

 まずはご挨拶まで。

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