2009-04-29

Vario-Sonnar 100-300mm/f4.5-5.6


というレンズをマツモトカメラで購入。
 CONTAXのレンズを買うのは、数年ぶりである。ずいぶん、安くなっており、昔の値段を知っている者からすると、すべてお買い得に見えてしまう。
 
 どうしてこのレンズを購入したかというと、一つはレンズ雑感に書いたように、古いレンズが性能が劣るわけではないことが確信できたことと、光の直進性とコントラストという観点でレンズを選べばよいということがわかったからだ。
 加えて、いつもVarioApoElmarit70-180mmを持ち歩く訳にも行かず、かつフォーサーズの慣れもあって望遠で200ミリでは物足りないことからだ。

 コンパクトでよく写り、300mmまでのズームを探したところ、このズームにたどり着いた。
 このズームは、ヤシコンのなかでは、新しい設計であったはずで、おさらく京セラヤシカのレンズ設計陣が設計したレンズではないかと思う。ちなみにライカのバリオエルマリート80-200/f4も京セラの製造といわれている。

 テストレベルでは、開放からがっちり写るようで、滲みもなくしっかり写る。f5.6でも300mmだと深度は浅く、ピントの合う範囲は狭い。5Dmk2を調整に出しているので、本格的な試写はできないが、良く写りそうな感じだ。

 
...

レンズ雑感

 デジカメの解像度は、5D mark2でミリ100本程度という記事を見て、ああ、なるほどなと思った。

 というのは、CONTAXのNのレンズ、アサカメのテストでは、コントラストはそこそこに高いのだけど、解像度はそれほどでもないのが意外だったこと。そして、中判用のPlanar110/2で撮影したデジカメの画像が大変優れたものであったこと。それらの謎が解けたからだ。

 
 フィルム時代は、どちらかといえば、解像度が中心であり、優れたレンズの解像度は高い。ツァイスは解像度よりもコントラストを重視したなどと言われるが、ハッセルのレンズでもCONTAXのレンズでも優れたレンズの解像度は高く、またZeiss自身もCamera Newsなどでは、Planar 85/1.2の解像度はミリ何本であるとか自慢気に記述している。

 コントラスト重視というのは、確かにコントラストも設計目的に入れていたということで、むしろ解放から一定の解像度を確保することがレンズ設計の目的であったのではないかと思う。Leitsはアサカメへの回答で、解像度などで評価しても意味がない、コントラストの方が重要だという内容を答えていたが。

 CONTAXの単焦点レンズ、例えばPlanar 50/1.4だと、中心部の解像度は、開放でミリ160本程度、周辺で100本程度だったと思う。絞れば、中央でミリ224本だったと思う。
 今のデジカメ用レンズに比べると、この数値は相当に高い。デジカメ用のズームレンズだと、開放だと中央でミリ100本程度、絞って160本程度だったと思う。

 で、どうして低解像度のレンズがまかり通るかというと、結局のところ、そこまでの結像性能がデジタルには必要ないということだろう。デジカメに求められるレンズ性能というのは、解像度よりも、テレセントリックな光の方向とコンラストなのだと。

 以前5Dで紅葉を撮影したときに、印象的だったのは、ハッセルのレンズをつけた画像だった。色ぬけ、臨場感いづれも相当なもので、どうして解像度が低いはずの中判レンズがきれいに写るのか疑問だった。

 その理由を思うに、デジカメの解像度は、素子の大きさに加え、ベイヤー配列での色補間が加わることから、本来のレンズの解像度をデジタル的に補間した結果となる。ということは、イメージとして、真っ直ぐな光で光量が豊富であれば、補間結果は、解像度のあるものとなるはずだ。

 という仮説を、今度、5D mk2で検証してみようと思う。
  
 5D mk2で思ったのは、レンズの特性が以前よりもはっきりとしていることだ。とくに、Planar55/1.2など、ピントの薄さが線の細さとしてはっきりと判別できる。フィルムでは感覚的にスパッとした描写としてわかるものであったが、それが明確な線の細さとして画像となるのは驚きである。
 
 5D mk2は尖っている。



...

2009-04-26

さようなら E-3

    日本語の別れの挨拶言葉「さようなら」は、よく考えてみれば不思議な言葉である。revoirとかgoodbyeというのは、まぁそれなりに再会や別れる相手を愛しむ期待する意味があるが、「さよなら」の本来の意味は「そうであるならば」である。
「そうであるならば」を別れの言葉とする日本語の深層については、諸説あるようだが、もっとも単純に「そうであるならば」と解釈すると、そこには運命に従うという、無常観のようなものを感じる。そうであるならば、つまり運命が別れを必要とするならば、というわけだ。

 新しいカメラとして、5D mark2で撮影を始めて、しばらくはこのカメラシステムで撮影することを決めた。決めた以上、E-3とは別れることにした。実は、E-3を購入したとき、5Dを保有しつづけたのであるが、使うことはほとんどなかった。

    それぐらいE-3の質感、そして出来上がる写真には満足できた。だから、フルサイズよりもフォーサーズを選んだのだ。この経験から、デジタルの場合、私は2つのシステムを必要としない。

    フォーサーズがもっとコンパクトなシステムであれば、レンジファインダーと一眼レフ、あるいは35mmと645のようなシステムの併存が可能かもしれないが、いまのところ、その必要性を感じない。こうした考えから、システムを変えれば、基本、カメラは売却することにした。一部レンズは残しているが。フォーサーズの4:3のフォーマットは好きなフォーマットだし、オリンパスの示すデジタルの思想には共感するものがある。で、しばらくは、フォーサーズは休むことにした。

    できれば、新しいタイプの撮影素子が登場し、画素は1200万程度でもいいから、諧調豊かな絵が欲しい。そうであるなら、また再びフォーサーズに戻るつもりだ。こうした考えから、システムを変えれば、基本、カメラは売却することにした。一部レンズは残しているが。フォーサーズの4:3のフォーマットは好きなフォーマットだし、オリンパスの示すデジタルの思想には共感するものがある。で、しばらくは、フォーサーズは休むことにした。できれば、新しいタイプの撮影素子が登場し、画素は1200万程度でもいいから、諧調豊かな絵が欲しい。

    そうであるなら、また再びフォーサーズに戻るつもりだ。

    カメラのナニワ京都店
にE-3 83000円、14-35/f2 183000円で委託に出しています。委託なので保証はありませんが、宣伝まで。

...