2009-05-09

木村伊兵衛賞雑感


 最近、アサヒカメラを買うことはほとんどないのだけど、久しぶりに5Dmk2の診断室が掲載されている4月号を購入した。

 で、問題は、たまたま4月号に木村伊兵衛賞の発表が載っており、今回は浅田政志氏の『浅田家』が受賞したとのこと。それ自体はコメントできるほど彼の写真を見ているわけではないので、どうのこうの言うつもりはないが、私はどうもこの木村伊兵衛賞というのは、いつもなんだかなぁと思う。
 
 繰り返すが、受賞されている方が悪いわけではない。問題は、なんというかこの賞のコンセプトが良くわからないことだ。何を基準として選んでいるのか。写真を選んでいるのか、写真集を選んでいるのか、写真家を選んでいるのか。評者のコメントを見ても、このへんが曖昧としている。
 
 思うに写真家が評者に入っている時点で、賞としては公平でない。私は、評者は純粋に評者であるべきで、写真を撮る立場の人間が他の写真の評価を下すシステムに、この賞の問題があると思う。
 
 作品と作者とは、同一のレベルで評価すべきことなのだろうか、一枚の写真と複数の写真構成を同一に評価すべきなのか。評論としての立場が曖昧な状態で評価を下すべきなのだろうか。

 この賞で一番不思議だったのは、佐内正史氏は、「生きている」からかなり年数が経ってから、確か他の写真家と同時に受賞していたことである。

 個人的には、この「生きている」という写真集は、日本人の写真集では、もっとも衝撃を受けたものであった。さりげない日常を美しく自由に写し止めた映像は、写真が知覚から自由であることの宣言であったと思う。しかし、彼はこの作品だけでは受賞できず、数年後に仕方がないような形で受賞している。

 恐らく、この写真集の意味を当時の評者の方々が満場一致では理解できなかった、あるいは写真そのものではなく写真家として認めなかったのが、その理由ではないかと思っている。

 評者自身がすべて自覚的にそう思っているわけではないと思うが、なんというか彼らの立場を揺るがすような写真家というのはいないものなのだろうか。メディアで取り上げられた写真家だけではなく、そういう写真家を発掘してもらえないかと思う。


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写真集について 1

    このところ、京都を題材にした写真集を2冊購入した。1冊は正式には写真撮影地ガイドのようなものだが、この2冊なかなか面白い。

 この2冊というのは、水野克比古氏の「心象の京都」、竹下光士氏の「京都撮影四季の旅」だ。竹下氏の方は、どちらかと言えば、撮影地のガイドという側面があるが、写真のクオリィティは写真集でも通用する写真が多く掲載されている。(このガイドは並の写真集を簡単に超えている)

 京都に住んで京都で撮影しているものが、京都の写真集を購入するのは、これらの写真を通じて自分の写真を考え直すことができるかもしれないと思うからだ。同じ場所で他の人が何を見て、何を撮影するか。これほど参考になる本もないと思っている。

 さて、2冊であるが、水野氏の方は、ありのままの自然として京都を捉えている。水野氏の言葉を借りれば、「自然との共生」の観点から、京都の風景があると見ておられる。京都の寺院の庭が石の形や木々の配置により、大自然を模したものであるが、京都の内側から見れば、この考え方は共鳴できるところがある。

 京都の内の自然は、共生できるものであり、手をかけていようといまいと、根源では繋がっており、その模倣として庭風景がある。だから、寺院内であろうと野山であろうとそこに区別はなく、ひとつの自然として受け入れられる。

 一方、竹下氏の写真は、京都の自然は生の自然ではなく、手を加えた「自然」だという視点から京都の風景を撮影している。寺院にしろ野山にしろ、京都内の自然には、例えば命を脅かすような自然はほとんど存在しない。標高何千メートルという山奥の自然は、そこにはない。
 だから、京都の風景を撮る場合に、自然でない自然として撮影している。

 この考えは、例えば先日醍醐寺で「そうだ 京都に行こう」の写真展を開いた高橋氏とも通ずるものがある。東京駅や品川駅に行けば、「そうだ 京都に行こう」のポスターがシーズン毎に目に付くのだが、あの写真は事後合成ではなく、撮影時のセッティングで作っている。桜にライトをあて、クレーンでカメラを引き上げ、時には扇風機で煽る。

 竹下氏の場合は、被写体には手を加えていないのだけど、京都に対する目線が「人工的な自然」にある。

 この目線は、外から京都を見ている目である。私は、大学時代、東京で暮らしたが、久しぶりに京都に帰省すると、京都がなんともちっぽけな街に見えた記憶かある。外から京都を見ると、小さな都市でしかないのも事実だ。

 純粋にどちらの写真に惹かれるかというと、なかなか難しい面があり、竹下氏のはその撮影期間(多分、1から2年で撮影されている)などを考慮すると、実に格好がいい。同じ場所で撮影したところもあるが、こんなふうに撮れない。
 逆に水野氏の写真はかなりの年月に撮影したきたものからのカットであり、とくにこの写真集の写真のなかで当たる写真は、ふつうに撮っているようだけど、奥深いものを感じる。簡単に撮れそうなのだけど、生涯に多く撮れるものではない。

マイケル・ケンナの写真も悪くはないが、京都を題材にしたこの2冊、見比べてみるのも面白いと思う。


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2009-05-06

カメラスタイル

    という雑誌を久ぶりに開いた。この雑誌は、フィムルカメラ時代の最後のあだ花として、非常に質の高い雑誌だった。開いたのは、ツァイス特集の内容のものであったが、ツァイスの各レンズの評を使用する写真家が書いている。
Sonnar 90/2.8 EOS 5D

 面白いのは、築地さんで、写真を撮るという観点で書かれている。例えば、離島にレンズひとつだけ持って行くとしたらという形容でDistagon35/2.8を取り上げている。

 このレンズ、フィルムでは確かによく写るのだけど、例えばDistagon35/1.4のような華があるわけではない。また、Gシリーズのレンズとしては、Sonnar90/2.8が一番良いという内容のことを書いているが、これも一般にはPlanar45/2やBiogon28/2.8という理解を越えている。

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2009-05-05

Free from Digital

Hektor 300/2.8  CONTAX645  E100VS


5Dmk2が返ってこないので、フィルムが懐かしくなっています。
昨日は久しぶりに、CONTAX645にズミクロン90/2をつけて、写真を撮りました。フィルムで撮影するのは、3年ぶりぐらいかと思う。

 

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2009-05-04

Distagon 35/3.5



フィルム時代に撮影したものをモノクロームに。夏の大原です。

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2009-05-03

フィルムスキャナー


フィルムスキャナー nikon 8000EDをMacで動かしてみた。
 

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