2009-07-01

Vario-Elmar 80-200mm/f4

  というレンズを先日購入したが、先日、このレンズとZeissのVarioSonnar 100-300mm/f4.5-5.6をもって、菖蒲の撮影に出かけたので、その感想を述べたい。

 ちなみにこのレンズはライカR用のズームとして発売されたものであるが、製造は京セラだと言われている。設計はライカだそうだが。

 80-200mm/f4という、まぁ普通のスペックのレンズであるが、ApoExtender x2を使うと、160-400mm/f8となり、実際手持ち撮影を考えると、ApoVarioElmarit 70-180mmm/f2.8よりも実用的だ。

 描写は方は文句のつけようがなく、5Dmk2では、開放f4から切れるようなシャープさで、ApoExtender x2をつけても、そのシャープさは変わらない。

 Apoレンズのなかには、いわゆるアポクロマートの発色をするレンズがあるが、ApoVarioElmarit 70-180mmmと同様に、このVario-Elmar 80-200mmも同様の傾向の発色だと思う。

 どの焦点距離でもシャープだが、とくに100mm-180mmぐらいがシャープな感じがする。

  たとえば、Zuiko 100mm/f2をf4まで絞ったものとVario-Elmar の100mm/f4とでは、あまり大きな違いはないのではないかと思う。 
 
 このレンズとsigmaの2本、12-24mm、24-70mm、そしてApoExtender x2があれば、4本のレンズで12mmから400mmまでを大凡つなぐことができる。

 今回、比較の意味もあって、VarioSonnar 100-300mm/f4.5-5.6を持っていったが、こちらのレンズも負けず劣らず性能が高い。

 Vario-Elmarがコントラストと発色で勝負するのに対し、こちらは解像度勝負という面があり、どちらが好みかという問題の水準にある。

 立体感というか写真の雰囲気では、Vario-Elmarなのだけど、事実に近いのはVarioSonnarの方で。

 ただ、300mmまでシームレスに撮影できるのは便利で、こちらのレンズの方が汎用性は高い。

 望遠のズームレンズは、3本となったが、結局は目的に応じて使い分けることになるが、単レンズ以上に差異があるため、どう使い分けするか悩ましい。




sigma 70/2.8 macro 5Dmk2
...

新井千裕

の新刊が出たのは知らなかった。

 前作を読んでいて、次回作が出るとは予想していなかったので意外だった。

 新井千裕と聞いて、それが誰であるか、わかる人は少ないと思うので、そのあたりから話を始めたい。

 私が大学を卒業し、間もないころ、確かSPAの書評でこの作家のことを知った。「ミドリガメ症候群」という一風変わったタイトルの小説であったが、東京出張のおりに飯田橋の神楽坂横の本屋でこの本を見つけて以来、この作者の本を読み続けている。

 作者は元コピーライター出身で、群像の新人賞を受賞している。1980年代中盤以降の空気を感じる作風で、それは日本が日本でなくなった瞬間であると同時に、幸福が永遠に続くような瞬間であった。バブルが始まる前あるいはバブルの最中の東京のやや周辺(山手線の外)の雰囲気。

 作品の特徴としては、暗喩と繰り返しを用いながら、言葉と記号の間を蝶が舞うよな言葉遣いで、一つの物語を作る。
 
 確か「復活祭のレクイエム」という小説のなかで、「自由」について、

 自由とは言葉だ。金魚にとっての金魚鉢のようなものであって、金魚が金魚鉢の外で生きられないように、私たちも言葉の外で生きられるわけではない。

 という趣旨の内容を書いている。

 金魚にとっての金魚鉢としての自由という暗喩は、おもしろく、私が写真を撮る時の心構えのようになっている。私が写すのは、金魚鉢や金魚鉢に写る金魚の姿たという具合に。

 話がそれたが、作者はずっと年1冊ぐらい小説を発表していたが、途中でパッタリと新刊が出なくなった。

 作者のファンであった者としては、もう小説を書くの止めたのかと思って諦めていたが、2年ぐらい前に新刊が出て、まだ書く意志があることを確認できた。

 ただ、2年前に出た本自体、どこか出口のない内容で、これでもう書かないんじゃないかと思っていたところ、ネットで新刊が出ていたことを知った。

 で、早速、先週の土曜日に本屋に行ったところ、今回の「図書館の女王を探して」という新刊は、SFのとろに分類されていた。
 
 内容的には、リアルな話というよりも、空想的なものであるが、SFではないのだが。

 つまり、近未来的なもしくは非現実的なことを題材としているわけではなく、現実のなかのちょっとした亀裂をテーマとしているだけなのに、この本がSFに分類されていたのは少し驚いた。

 作者の過去の本と比べ、ネットでも書評がそれなりにあるようだが、これもこうした違うジャンルに分類されることによる効果なのだろうか。
 
 ある本屋ではSF、別の本屋ではミステリー小説として分類されているとすれば、日本文学 男性のあ欄に分類されるよりも、間口が広がるのかもしれない。

 この分類の仕方とネットでの書評数を見ていると、ようやく時代が少し違ったかたちでこの作者を受け入れるようになったかもしれないと思った。ファンタジーとしての受入れ方。

 ただ、小説などそもそも多かれ少なかれファンタジーなわけで、この分類の仕方自体はには違和感を感じる。ただ、そのことによって多くの読者を得るなら、それはそれで良いのかもかもしれないし、逆にファンタジーとして分類してしまう世界は昔よらも確実に狭くなっているのかもしれない。

 話が長くなったが、本作は亡くなった妻を空虚な中心として、そのまわりをいろいろな人物と言葉と記号が螺旋状にまとわりつきながら、最後には別の空虚な空間が現れるといったストーリーになっている。
 
 最初の方に、「手紙を出したら、忘れた頃に手紙がついた」と書いているが、こうした無邪気さを残しながら、確信犯的に忘れたころに小説を届けたのだろうと思う。

 想像するに本編は、ずいぶん昔に一度書かれていて、途中までいったところで、ほったらかしにされていたのではないかと思う。つまり、小説としては一度書き手が興味をなくしたものを、何かを機に推敲して書き直したような感じがする。
 
 また、この作者の持つユーモアが今回はどちらかといえば、シニカルに見える。笑える箇所はあるのだけど、少し言葉と笑いとの間に何かがつかえるような感覚だ。それも確信犯的に、そうしてるんじゃないかと思える。

 これは私が年をとったせいか、それとも作者が年をとったせいかわからないが、以前だと素直にケラケラと笑っていた部分で、素直に笑えないのだけど笑うという感覚なのだ。
(もう一人の自分が笑うという感覚)

 最後の長いあとがきのなかで、作者の近況が報告されているが、また忘れたころに、読者に手紙を届けてほしいと思う。少なくとも、多くの読者が作品を読むことや話すことで、変容していくことができるのだから。

★:... 


...

必要なカメラ

 5Dmk2を使っていて、ふと次のmk3はどうなるんだろう?と思うことがある。

 30百万画素ぐらいになっても、それほど魅力的になるわけではない。40百万画素ぐらいになれば、インパクトもあるが、そこまで行くか。
 あるいは20百万画素で諧調を広げてくるか。

 個人でA2サイズぐらいのプリントだと、画質は、5Dmk2で満足できるので、ハイライト側を広げるなどを除いては、これ以上の性能がいるかと言われても、なかなか難しいところだ。

 むしろ、ボディの品質、ガタのないもの、ファインダーの倍率やピントの見やすさなど質的な改善を望むところだ。

 24万で購入して、10万円で売却すれば実質14万円で2、3年利用することができるわけで、フィルムに年30万円ぐらい使っていたことを考えると、使い捨てであっても、デジタルの方が経済的ではある。
 
 逆に見れば、ボディに愛着がない方が、全体的に買替えが進みやすい。その結果、新しい素子を積んだ新型機が安価に購入できる。

 市場原理として間違っているわけではないが、本当に必要なのは、カメラは固定で素子を交換できるようなカメラかもしれない。

 CONTAX Ndigitalは、そこまで考えて設計されていたと聞く。そのために、1mmフランジバックが延び、旧コンタックスレンズが使えなくなった。

 「写るんです」をフィルム付きカメラと揶揄していた時期があるが、現状のデジタルカメラの多くは、撮影素子付きカメラだろうし、その意味では「写るんです」と近いものになっている。

 カメラボディは完成されているように見えるが、ファインダーなどまだまだ改善
の余地があるだろうし、デジタル「カメラ」としての部分は、ある意味、フォーサーズが先行している部分もある。

 デジタルカメラがカメラに目覚める日は来るのだろうか。


...

Macのメモリ

 を8G追加。全部で14Gとなったが、2GをRAMDISKにして、PhotoShopeのテンポラリーフォルダにしている。

 私は、PCのパフォーマンスが10倍となることを目処としてPCの買い換えを行っているが、以前使っていたPC(Win2000)が2Gだった。
 RAMDISKで2Gというのは、時代の推移を感じる。
 
 前にも書いたが、最近の写真のワークフローは、Capture One現像、PhotoShop加工というのが基本的なパータンだが、写真によりFinder、BridgeとPhotomatrixを立ち上げ、spacesで画面を切り替えていく。spacesは3×3で9画面が切り替えられるようにしている。これら5ソフトに、safari、VMWAREなど立ち上げると、7画面を使うことになる。


 Macのメモリは、ソフトを立ち上げている間、メモリをリリースしない(ソフト側の問題ともいえるが)ので、複数の画像処理をしていると、6Gでもメモリを使いきってしまう。が、14Gあると、さすがに使いきることはないようだ。

 PCのパフォーマンスとしては、体感できる程度に早くなったかなという程度だ。驚くほど速くなったというわけではなく、確かに少し速くなったという感じだ。

 例えば、Capture Oneで等倍表示する場合は、少し時間がかかったが(2-3秒)、1秒程度で表示するようになった。ただ、現像時間はRAW10枚一括をTIFFに変換する場合で従来と変わっていない。

 PhotoShopは、立ち上げなどは従来はやはり7-8秒かかっていたが、5-6秒になった。Capture OneからPhotoShopへの転送は速くなったようだが。
 ただ、PhotoShopでのSilverEfexのフィルター処理自体は、大きく変わっておらず、全体としては少し改善しているが、肝心のプロセスが変化なしといったところだ。

 問題というか悩ましいのは、メモリの温度。Macのメモリは2枚で1セットであるが、そのうち1枚の温度がもう一方に比べ12、3度ほど高い。ソフトを立ち上げている状態で、だいたい75度になる。Macのファンは温度を関知して回り出すようで、78度ぐらいから回り出す。

 そうすると、無音のMacから、少しブンブンと音が出るようになって....。

 メモリによって温度が違うのは知っていたが、この時期にこれでは夏場はどうなるのかと思ってしまう。

 メモリ自体は不良箇所はないので、返品するわけにもいかず、困ったなと。いろいろとメモリを指す位置をかえてみたりするが、温度はさして変わらずで。 

 メモリの温度を下げる方法がないか思案中。

★:....

...