毎年、この季節にると、桜を撮影しているが、なんというか、桜は写真にならない。絵にはなるのだけれど。
昔に、その理由は、他の花と違い、桜は花をみているのではなく、そのイメージ、桜という精神を見ているからではないかと書いた。
自分のなかに桜のイメージがある以上、どうしても前にある画像よりもイメージの方が勝るような気がする。もっとも、他の人の写真で素晴らしいものもあるだが、PLフィルターでバックの空を真っ青にした写真は、美しいものではない。
他人の写真でいいなと思ったのは、リー・フリードランナーとテリ・ワイフェンバッハの写真だった。
リー・フリードランナーの写真は、アサヒカメラで桜をモノクロで撮ったもので、日本人的な精神性を意識した写真ではないのだけれど、かえって桜の精神性が撮影できているように思った。精神をなぞるのではなく、モノクロのイメージのなかで吸収すること。
テリ・ワイフェンバッハは、In your dreams のなかの少しピントをはずしたものであったが、こういう桜の写真、写真の撮り方もあるのかと思った。日本人としての自分の中の桜のイメージがかえって、桜の写真を狭めている。
今年に入って、モノクロで写真を見るようになり、疑心案議で撮影したものをモノクロ化しているが、これがなかなかよい感じになる。カラーよりもモノクロの方がイメージの領域が自由で精神性をストレートに表現できる。桜の淡い色がきれいだと思うのは、イメージなのであって、実在するものではないモノクロの世界に桜を放り込むこと、そのことで淡い色が表現できるようになる。

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